いきもの
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問題は全部で5問です!

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琵琶湖の歴史

琵琶湖は、琵琶湖にしかいない固有種が進化したほど、古くからある古代湖です。どれくらい古くからあるのでしょうか?

  • A. 約43万年前
  • B. 約180万年前
  • C. 約400万年前
  • D. 400万年以上前
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答えと解説

答え

全て正解、かもしれません。

解説

琵琶湖の始まりは、現在の三重県伊賀市あたりに、約400万年前にできた大山田湖であるとされています(C)。しかし最近の研究で、大山田湖は、伊勢湾周辺にあった東海湖とひとつながりの水系だったようで、湖としても一体であった可能性が指摘されています。

東海湖がどのような湖だったのかはよくわかっていませんが、大山田湖よりは古くからあったようですので、少なくとも400万年前よりは古い時代までさかのぼるようです(D)。

その後、古琵琶湖は消長をくり返しながら北上し、約180万年前には現在の琵琶湖の南部付近に湖があったようです(B)。そして約43万年前に急速に北に広がって、現在の北湖ができました(A)。この当時の北湖は現在よりも細長く、現在の琵琶湖の形とは大きく違っていたようです。

このように視点を変えると、琵琶湖がいつできたかの答えも変わってきます。これからの研究の進展によっては、さらに違う答えが見えてくるかもしれません。

もっと学びたい人のための参考書

・里口保文 (2018) 琵琶湖博物館ブックレット 7 琵琶湖はいつできた 地層が伝える過去の環境.

サンライズ出版,彦根.

https://www.sunrise-pub.co.jp/isbn978-4-88325-644-0/

・里口保文 (2017) 古琵琶湖堆積盆周辺の古水系変化の検討.化石研究会会誌,50: 60-70.

https://www.kasekiken.jp/kaishi/kaishi_50(2)/kasekiken_50(2)_60-70.pdf

(里口保文・大塚泰介)

琵琶湖の形

琵琶湖という名前は、形が楽器の琵琶に似ていることからつけられたと言われています。この名前は室町時代後期(16世紀はじめ)から使われはじめ、江戸時代に定着してきました。さて、室町時代以前の人たちは、どうして琵琶湖の形が琵琶に似ているとわかったのでしょうか?

  • A. 竹生島を守る弁財天が琵琶を持っていたから
  • B. 地理に詳しい人がそう判断したから
  • C. 山の上から全体の形を見通せたから
  • D. 空の上から全体の形を見た人がいるから
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答えと解説

答え

たぶんB。ただし Aも関係しているかもしれません。

解説

琵琶湖の形が楽器の琵琶に似ているという記述は、比叡山延暦寺の僧侶・光宗(こうしゅうまたは こうそう、1274-1347)が1311年から1347年の間に編述したとされる仏教書、『渓嵐拾葉集』(けいらんしゅうようしゅう)が初出です。そこでは竹生島は「覆手」、瀬田の辺りは「鹿頸」など、湖に浮かぶ島々や湖の幅が狭い場所、大阪湾に至る瀬田川(淀川)の流れが、琵琶の各部分に見立てて説明されています*。

光宗のいた比叡山からは琵琶湖の一部が眺められますが、全体は見渡せません。しかし、「湖は北東―南西方向に長い」「南西側よりも北東側のほうが広大である」「南端は瀬田川となって大阪湾へと流れ出ている」といった地理的知識は経験的に得ていたでしょう。そこで、竹生島にあって仏を守る神・弁財天の持ちものが琵琶であることと結び付けて、この延暦寺の僧侶は湖を琵琶の形だと想像したと考えられます。

延暦寺は、現代に例えると総合大学のような大組織で、光宗はそのなかの記録係のお坊さんでした。ここで重要なのは、宗教的な記録はもちろん、土木、医療、算術、軍事などさまざまな分野の記録がひたすら書き続けられたことです。光宗は、宗教にも科学技術にも詳しい人物だったのです。そして、当時の琵琶湖の絵図は残されてはいませんが、各寺社に残る荘園絵図の技術からすれば、琵琶湖の概略を記録することは難しいことではなかったと考えます。琵琶を奏でる竹生島の弁財天の信仰と湖の形とが結び付いた背景には、こうした光宗の知識があったと思います。

なお、約200年後、京都五山の僧侶・景徐周麟(けいじょしゅうりん、1440-1516)の編んだ漢詩集『翰林葫蘆集』(かんりんころしゅう)に「琵琶湖」という固有名詞が初めて登場します。

もっと学びたい人のための参考書

・木村至宏(2001)『琵琶湖―その呼称の由来―』サンライズ出版.
・上杉和央(2015)「想像世界の歴史地理」竹中克行編『人文地理学への招待』ミネルヴァ書房.

(島本多敬・橋本道範)

琵琶湖の固有種

琵琶湖には何種の固有種がいるでしょうか?

  • A. 約50種
  • B. 約65種
  • C. 約80種
  • D. 100種以上
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答えと解説

答え

どれも正解かも知れません。

解説

2018年発行の「琵琶湖ハンドブック三訂版」には、琵琶湖の固有種として66種が上げられています(B)。

https://www.pref.shiga.lg.jp/ippan/kankyoshizen/biwako/11346.html

しかしこの中で、ニゴロブナ、ビワヒガイ、スゴモロコ、ネジレモなどは、琵琶湖以外にいる近いなかまと種レベルでは分けられない「固有亜種」「固有変種」です。ウツセミカジカは海に下るカジカ小卵型と、ササノハガイは西日本に広く分布するトンガリササノハガイと、メンカラスガイは瀬戸内・太平洋側のカラスガイと、それぞれ種レベルでは区別できないことがわかってきました。ナガタニシとオオタニシの関係については今も混乱、ビワミジンコはいまだ実体不明、スズキケイソウモドキはスズキケイソウが細胞分裂をくり返して小さくなったものであることがわかっています。寄生虫の多くも今後の検証が必要とされています。こうして明らかな固有種とは言えないものを慎重に外していくと、琵琶湖の固有種は50種程度ということになります(A)。

一方、琵琶湖からはケイソウや繊毛虫、カイミジンコなどの小さな生き物について、たいへん多くの新種が報告されています。もっと大きなカワニナ類でも、2020年以降に4種もの新種が報告されています。そしてその多くが、いまだ琵琶湖以外からは報告されていません。もし、その多くが琵琶湖の固有種だとすると、琵琶湖の固有種は少なくとも80種程度(C)、おそらくは100種を優に超える(D)ことになります。

今も多くの新種が琵琶湖から見つかっています。その中からさらに、新たな固有種の存在が明らかになってくることでしょう。

もっと学びたい人のための参考書

・西野真知子(編著)(2022) 琵琶湖の生物はいつ、どこからきたのか?サンライズ出版,彦根.

https://www.sunrise-pub.co.jp/isbn978-4-88325-779-9/

・高橋啓一ほか (2021) 琵琶湖とその生物相の形成に関連した研究史ならびにその文献資料について.

化石研究会会誌特別号,5: 1-59.

https://www.kasekiken.jp/kaishi.html

(大塚泰介)

琵琶湖の富栄養化対策とアオコ

琵琶湖では「琵琶湖条例」が施行された1980年以降、富栄養化に歯止めがかかり、特に琵琶湖南湖では、水中に含まれる窒素とリンの濃度は1980年頃に比べてかなり下がっています。それでは琵琶湖におけるアオコの発生は、1980年頃と比べて減っているでしょうか?それとも増えているでしょうか?

  • A. 減っている
  • B. あまり変わらない
  • C. 増えている
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答えと解説

答え

C

解説

滋賀県では「滋賀県琵琶湖の富栄養化の防止に関する条例」(通称:琵琶湖条例)が1980年に施行され、さまざまな富栄養化対策が進められてきました。藻類の増殖を促進する窒素やリンなどの栄養塩が、琵琶湖に過度に流れ込むのを防ぐ対策です。そして琵琶湖南湖では、リン濃度は1990年代から、窒素濃度も2000年代から明らかに下がってきています。これは滋賀県で行われてきた様々な水質対策の成果と言って良いでしょう。

アオコは、水面に浮上することができるシアノバクテリアが大発生し、水面付近に集まって緑色の粉を浮かべたような、あるいはペンキを流したような状態になる現象です。アオコは一般に、富栄養化が進んだ湖でよく発生します。アオコが発生すると夜間に水中の酸素を消費して酸素欠乏を引き起こすことがあります。また、アオコをつくるシアノバクテリアにはかび臭など悪臭の原因になるものが多く、肝臓毒や神経毒をもつ種もあります。

1980年頃まで、琵琶湖でアオコは観測されませんでした。初めて観測されたのは1983年、南湖の広い範囲で発生するようになったのは1987年以降です。そしてリン濃度が下がり始めた1990年代から、年々の変動は大きいながらもかえって発生がふえる傾向があります。さらに2023年、琵琶湖のアオコ発生日数は過去最多の63日を記録しました。

このように富栄養化が抑制されたにもかかわらず、かえってアオコ発生が激化している原因について、次のことが考えられます。
1) 外来種を含む新たなシアノバクテリアが次々と琵琶湖に侵入し、その時々の環境に適応した種がふえている。
2) 浮上沈降性をもつシアノバクテリアは底泥にたまった「リンの遺産」を有効に利用できるので、他の藻類との競争上有利になる。
しかし実際のところ、原因はよくわかりません。これからの研究課題です。

もっと学びたい人のための参考書

・大塚泰介・根来 健・佐藤晋也・石川可奈子・辻彰洋 (2023) 特集:『視えない』外来種問題 要注意!琵琶湖とその集水域の「ミクロの外来生物」.地域自然史と保全,45: 25-38.
https://researchmap.jp/tansaibou/misc/42953145
(大塚泰介)

ヨシ群落の水質浄化機能

琵琶湖や内湖の岸辺に発達するヨシ群落は、水質浄化機能があると言われています。ヨシ群落をどのように管理すれば、最もよく水質を浄化してくれるでしょうか?

  • A. 枯れたヨシを冬期に根元から刈る
  • B. 保護柵などを設置して波あたりを弱くする
  • C. 競合する植物を除去する
  • D. 何もしない
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答えと解説

答え

全て状況によって効果があるし、逆効果になることもあります。

解説

Aの刈りとりは、枯れたヨシに含まれる窒素やリンを湖の外に持ち出す効果があります。特に枯れたヨシを放置すると湖に流出して分解されるような場合には、水質改善の効果があると言えます。ただしヨシの茎や葉に含まれる窒素やリンのほとんどは地下の根から吸い上げたもので、水中の窒素やリンを直接吸収するわけではありません。またヨシは秋になると、地上部に含まれる窒素やリンの大部分を地下茎に戻すので、冬の枯れたヨシには窒素もリンもわずかしか含まれません。さらに刈ったヨシの断面が水没すると、枯れた茎を通して地下茎に酸素が送られなくなり、ヨシの生育に悪影響を及ぼします。

Bの波あたりを減らす方法は、琵琶湖のヨシ群落再生に大きな効果がありました。しかし施工方法や環境条件によっては、水の交換が悪くなって内部が富栄養化し、水質浄化機能を十分に果たせなくなることや、ヨシ以外の植物が繁茂することもありました。

Cについては、オオバナミズキンバイやホテイアオイなどの外来水草がヨシ群落の前面で繁茂して、ヨシの生育をさまたげるだけでなく、魚類などの生育環境を悪化させることがあります。こうした外来水草も、水中から窒素やリンなどの栄養塩を吸収する働きをしています。しかし一方で水面をおおって光と酸素をさえぎるので、水中が暗い貧酸素の世界になり、ヨシの茎の上などに生息する生物による水質浄化作用をさまたげます。少なくともこうした外来水草は除去して、そこに含まれる窒素やリンを湖の外に持ち出し、ヨシ群落本来の水質浄化システムが働くようにした方がよいでしょう。

このように考えると、自然にヨシ帯が発達する場所で外来水草などの問題がなければ、少なくとも水ヨシの部分については、Dの「何もしない」ことでヨシ群落の水質浄化機能が最大限発揮されることもありえます。状況に応じた「順応的管理」が必要です。

もっと学びたい人のための参考書

・田中周平 (2006) 琵琶湖岸ヨシ群落の修復・再生への取り組み.環境技術,35: 582-587.

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jriet1972/35/8/35_8_582/_article/-char/ja/

・藤原公一 (2012) 枯れ茎の刈り取りと切り口の冠水に伴うヨシPhragmites australis の出芽遅延と成長阻害.日本水産学会誌,78: 1159-1169.

https://www.jstage.jst.go.jp/article/suisan/78/6/78_12-00035/_article/-char/ja/

(大塚泰介)